骨格美人はぶち楽ちん〈頸部と体幹編〉 ~序章[1]大失態~
私が病院勤務をしながら心理療術や整体の知識を得たいと思ったのは、少しでも看護師としての仕事の幅を広げることができ、患者様にももっと寄り添えるのではないかと思ったからです。
しかし、整体学院の授業では受講生の数が多過ぎますし、一方通行の授業で内容が今一つ把握しきれませんでした。また、このまま看護の現場で手技を行うには無理があるかもと感じたことと、正直、受講料を何百万円も支払っていながら自分の身にならないままで役に立てないのはもったいないということもあって、整体師としてちょっとだけ働いてみることにしました。
私が首の障害を受ける前の出来事であり病院勤務を退職し、整体院で働くようになった頃です。私は大変なことをしでかしてしまったのです。
「整体をして貰ってから、余計に腰が痛くなりました。どうにかして下さい」と、凄い剣幕で私の方へ近寄って来られる方がいました。私が施術を行った方だとおっしゃるのですが、あんなにやさしい圧しか入れていないのに「私である訳が無い」と思いました。私の頭の中では「私のことでは無いはず」との思いがぎっしりと詰まっていたのです。そんな思いがあったせいで「私ではありません」と、つい言葉に出てしまったのです。
ところが「あなただった。あなただった」と言われ調べると、まさに私でした。
私もビックリでしたが、その方がもっとビックリでしたでしょう。大ボケ小ボケです。普通はお顔を覚えているはずですが、その時は少しパニックになってしまっていたのでしょうか、全く思い出せなかったのです。
それと同時に「何が起きたのだろう。何故痛みが出たのだろう」と、疑問符が頭いっぱいに広がり、自分では納得がいかないままでした。しかし、辛く痛い思いをさせてしまった事に対して申し訳ないとの思いが湧いて来て、早く謝らなくてはと焦ったことを覚えています。
その後、その方の痛みは上司の対処で良くなったとのことでした。本当に感謝しています。
これにより、整体をする上で再認識させられたことがあります。それは、物なら直ぐにでも新品と交換出来ますが、相手が人なので失敗は許されないということです。これは看護の現場も整体も同じです。そして気付かされたことは、手技そのものの手順は教わっても危害については聞いていなかったので、安全な手技だという“思い込み”それこそが、落とし穴になるということです。
あの時、何が起きたのか。
「脊柱管狭窄症のある方だったのかもしれない。それとも他に何が考えられるだろうか…」と、腰痛に関する症例が次から次へと湧いて出て来ました。筋肉をほぐすだけの手技だったのに何が起きたのかさっぱり分からなかったからです。
最低限考えられたことは、筋肉を緩めれば腱と繋がっている骨に動きが生じて、歪みが酷くなる可能性が有るのではないかと言うことでした。その結果、骨格の隙間が少なくなり神経との関係性が余計に悪くなったと考えられました。
看護師時代の整形外科疾患からの情報として、下殿神経と上殿皮神経は注意をしなければということは知識として持っていたので十分に注意を払っていたつもりでしたが、それでもこんなことになってしまったのです。
もっとご本人の体の情報を聞き出しておくべきだったと反省しました。このようになるとは考えもしませんでした。
つまり、いくら安全な手技と言われていても、その時の状態と手技とが合致しなければ安全とは言えない、ということに初めて気付かされたのです。こんなに簡単なことを見過ごしていたのです。このことは私にとって一生、心に留めておくべき大事なこととなりました。
今でも時々その方のことを思い出します。何故なら、その方のお陰でU-LAN法を自ら開発し確立していくきっかけになったからです。
あの失敗の後から、施術をすることがとても怖くなりました。これが整体の本当の意味での危機感の始まりでした。今まで以上に慎重に手技を行うと同時に、出来る限り施術を行う人の情報を詳しく聞き出すようになりました。
その後、整形外科疾患の本を新たに数冊購入し、骨格と筋肉などを照らし合わせながら、自分で一から手技を検討し考え直していきました。つまり、修得した一つ一つの手技に対して“この手技は何のためにしているのか。何が目的か”と、自分なりの分析を行ってみたのです。
それにより手技を使い分けする必要があることが判りました。分析によっては症例毎に使用していい場合とそうではない場合が有るということがはっきりしてきたのです。それと同時に、症状にマッチする新たな手技が生まれました。
私のせいで痛みを生じてしまったあの方のためにも、せめてもの償いとして、体にとって栄養剤のように溶け込んでいくような、良い手技の開発へと心は動かされていきました。
これが、元祖U-LAN法の始まりです。